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中嶋イッキュウのwiki経歴と学歴!tricot結成秘話や海外人気の実力を調査!

キャリー
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中嶋イッキュウさんは、tricotやジェニーハイでの独特な存在感や、国内外での活躍で注目を集めるミュージシャンです。

その学歴やtricot結成の裏側、さらには海外での人気の理由まで、気になる彼女のwiki経歴を徹底調査しました!

彼女の魅力がどこから生まれるのか、一緒に見ていきましょう!

中嶋イッキュウのwiki経歴

  • 本名:中嶋郁美(なかじま いくみ)
  • 芸名の由来:本名「郁美」→「いくみ」→「193(いっきゅうさん)」→「イッキュウ」
  • 生年月日:1989年5月29日
  • 年齢:35歳(2024年時点)
  • 出身地:滋賀県
  • 身長:171cm
  • 血液型:B型
  • 所属バンド
    • 「tricot」(2010年結成、ギター&ボーカル担当)
    • 「ジェニーハイ」(バラエティバンド、ボーカル担当)
  • ジャンル:マスロック(複雑なリズムとポップなメロディの融合)
  • デビュー活動:2010年に自主レーベル「BAKURETSU RECORDS」を立ち上げ
  • 海外進出
    • 2014年:ヨーロッパツアー
    • 2015年:北米ツアー
    • 英国、ドイツなどで注目される
  • 趣味
    • 柔道(中学時代に県大会優勝、初段保持)
    • 音楽(モーニング娘。に憧れオーディション受験経験あり)
  • 特技
    • 歌唱力とギタープレイ
    • 魅力的なライブパフォーマンス
  • 特徴
    • 力強い歌声と繊細な表現力
    • 日本語詞を中心にした楽曲で海外リスナーにも評価される

中嶋イッキュウさんは、滋賀県出身のロックバンド「tricot」と、バラエティバンド「ジェニーハイ」のボーカルを務めるミュージシャンです。

「本名は中嶋郁美(なかじまいくみ)で、1989年5月29日生まれ。

独特な名前の由来は、「郁美→いくみ→193→一休さん→イッキュウ」という、なんともユニークな連想ゲームからきています(笑)

その活動は日本国内にとどまらず、ヨーロッパや北米ツアーを成功させるなど、世界でも評価されています。

彼女の力強くも繊細な歌声は、「マスロック」という複雑なリズムが特徴のジャンルで特に輝きを放っています。

中嶋イッキュウの学歴

それでは、中嶋イッキュウさんの気になる学歴をエピソードを交えて見ていきましょう!

出身中学校(モーニング娘。が音楽への転機?)

中嶋イッキュウさんが通った中学校の名前は公表されていませんが、以下のような候補が考えられます。

  • 滋賀県草津市立南笠中学校
  • 滋賀県大津市立青山中学校
  • 滋賀県大津市立坂本中学校

これらの中学校が候補とされる理由には、中嶋さんの出身地である滋賀県大津市周辺の中学校であることが挙げられます。

また、中嶋さんが中学時代に所属していた柔道部が滋賀県で高い実績を残していることから、柔道で知られる中学校が挙がっています。

ただし、これらはあくまで可能性のある候補であり、実際の通学先は明らかにされていません。

中学時代、中嶋さんは柔道部に所属し、滋賀県大会で1位、近畿大会で2位という輝かしい成績を収めています。

こう聞くと、柔道一直線の学生生活を送っていたように思えますが、実はそれだけではありません。

中嶋さんはアイドル「モーニング娘。」に夢中で、特に後藤真希さんの加入に衝撃を受けたそうです。

この経験が「歌手になりたい」という夢のきっかけになったとか。

「実はモーニング娘。のオーディションに応募したこともあるんです。でも、落ちました(笑)」

と本人が語るように、この頃から音楽への情熱が芽生えていたのは間違いありません。

柔道で培った努力と、音楽への想いが同時に存在していた中学時代。異色の組み合わせともいえる彼女の青春が、その後の多彩な活躍に繋がっているのかもしれませんね!

ここから音楽への情熱が芽生えたのがわかります。

柔道とアイドル、この二つの要素が同時に存在していた彼女の中学時代はかなりユニークですね!

出身高校(軽音楽部で奮闘)

中嶋さんは、滋賀県立大津高校に進学し、軽音楽部に所属しました。

この軽音楽部は県内でも有名で、入部には厳しいオーディションが必要だったそうです。

彼女は何度も挑戦してようやく合格し、

「落ち続けるくらい下手だったけど、部活でどんどん成長できた」

と語っています。

高校時代にキダモティフォさん(現tricotメンバー)と出会い、一緒に音楽を楽しむ中で彼女の音楽的感性が磨かれていきました。

ちなみに、高校時代は柔道から完全に音楽に転向。

「本当に歌うのが楽しくて、練習は全然苦にならなかった」

とも話しています。

軽音楽部での活動を通じて、ただの部活動以上に音楽への深い愛情を育てていった中嶋さん。

この時の経験がtricot結成に繋がるのも納得です。

大阪スクールオブミュージック専門学校時代

高校卒業後、中嶋さんは大阪スクールオブミュージック専門学校のプロミュージシャン科バンドヴォーカルコースに進学しました。

この学校を選んだ理由について、

「兄がこの学校に通っていて、パンフレットを見てすぐに決めた」

と語っています。

学校では座学が苦手だったと笑いながらも、

「授業を休まず全部出席していました。音楽理論は苦手だったけど、歌う授業はすごく楽しかった」

と振り返っています。

また、在学中には学校のオーディションイベント「アーティスト・ショーケース」に出場し、なんばHatchのステージに立つなど、プロの舞台を経験しました。

さらに、

「当時の授業ノートを今でも引っ張り出して参考にすることがある」

とも話しており、この専門学校時代の努力が現在の活動の土台になっていることがわかりますね。

tricotの結成秘話と活躍

それではtricotのボーカルとして大活躍中の中嶋イッキュウさんですが、結成のきっかけやこれまでの活躍、そして現在の活動についても詳しく見ていきましょう!

高校時代の先輩・キダモティフォとの再会

中嶋イッキュウさんとキダモティフォさん(tricotのギタリストであり、楽曲制作の中心人物)は、高校時代の軽音楽部で初めて出会いました。

キダモティフォさんは、中嶋さんの1年先輩にあたり、すでにギターの腕前が際立っていたそうです。

当時はお互いに音楽を楽しむ仲間として接していましたが、バンドを組むことはありませんでした。

卒業後、キダモティフォさんが中嶋さんを誘い、

「バンドを一緒にやらないか?」

と声をかけたものの、最初は断られてしまったそうです。

ところが、中嶋さんが当時所属していたバンドが解散し、一人で音楽活動を続ける中で再びキダモティフォさんからの誘いを受け、ついに意気投合。

「一緒にやってみよう!」という流れでtricotが始まりました。

キダモティフォさんは、tricotの楽曲制作においてリードを取る存在。

「このメンバーなら絶対すごいことができる!」

という確信のもと、彼と中嶋さん、ベースのヒロミ・ヒロヒロさんの3人でtricotを結成します。

その後、ドラマーのポジションを巡って入れ替わりが続きましたが、MySpaceでtricotの音源を聴いたkomaki♂さんが「ぜひやらせてほしい」とドラマーに志願。

サポート期間を経て正式メンバーになりました。

キダモティフォさんの存在は、tricotの音楽性において欠かせないもの。

複雑なリズムとキャッチーなメロディの融合という独特なスタイルは、まさに彼のギターセンスと音楽的ビジョンによるものと言えます。

このようにしてtricotが形成された背景からも、彼らの音楽に対する真剣さと独自性がうかがえますね!

自主レーベル「BAKURETSU RECORDS」の立ち上げ

2010年の結成直後、彼らは自主レーベル「BAKURETSU RECORDS」を設立。

これには

「自分たちのペースで自由に音楽を作りたい」

という強い思いが込められていました。

メンバー自らがレーベル運営に関わることで、音楽性や活動の方向性を制約なく追求できたのです。

このレーベルからリリースした作品は、ファンの間で高く評価され、

「このバンドはただ者じゃない」

といった声も多く上がりました。

自由度の高いレーベル運営がtricotの独自性を支えているんですね!

国内外のフェスで輝くtricotの現在

tricotは、日本国内でも有名フェスに多数出演しています。

FUJI ROCK FESTIVALやROCK IN JAPANといった大型イベントで観客を圧倒するライブパフォーマンスを披露。

特に、「爆裂」と形容されるその激しいパフォーマンスは、ライブでしか味わえない熱量を感じさせます。

中嶋イッキュウさんは、

「ライブはお客さんとの一体感が大事。その場でしか生まれないものを届けたい」

と語っており、彼らのステージが他とは一線を画す理由がわかりますよね。

海外ツアーの挑戦

tricotは国内だけでなく、早い段階で海外進出を果たしています。

2014年にはヨーロッパツアー、2015年には北米ツアーを成功させ、その後もUKやアジアでのライブを敢行しています。

特に、日本語の歌詞を使いながらも、変拍子や大胆な曲展開が海外のリスナーに新鮮に響き、絶賛されているのだとか。

「言葉が通じなくても、音楽で通じ合えるのがうれしい」

と中嶋さんはインタビューで話しており、彼女たちの音楽が国境を越えて支持を集めている理由がわかります。

tricotの成功の裏には、メンバー同士の強い信頼関係と、音楽に対する妥協のない姿勢があります。

結成から現在までの歩みを見ると、彼らの挑戦がどれだけ異色でありながらも本質を突いているかを感じますね!

ジェニーハイ参加のきっかけ

ジェニーハイは、中嶋イッキュウさんがこれまでに経験してきた音楽活動とは少し異なる角度から生まれたバンドです。

このきっかけは、BSスカパー!のバラエティ番組『BAZOOKA!!!』の企画。

「お笑い芸人と音楽家が融合したバンド」という異例のコンセプトが提案され、イッキュウさんがその一員として抜擢されました。

彼女自身、初めてオファーを受けたときには

「なんで私なんだろう?」

と驚きつつも、興味を持ったそうです。

「小籔千豊さんやくっきー!さんたちとのやりとりが面白くて、こんなバンドなら新しい挑戦ができそうだと思いました」

と語っています。

どこかカジュアルな雰囲気のスタートだったようですが、このプロジェクトが後に本格的な音楽活動へと発展します。

バラエティ番組からの異色コラボ

『BAZOOKA!!!』の番組内でのやり取りが、そのままバンド結成のきっかけになったジェニーハイ。

バンドメンバーとして小籔千豊さん(ドラム)やくっきー!さん(ベース)が参加し、さらに川谷絵音さん(ギター・プロデュース)と新垣隆さん(キーボード)が加わることで、一気に本格的な音楽プロジェクトへと進化しました。

中嶋イッキュウさんは、このメンバー構成について

「最初は、音楽というよりエンタメ寄りなのかなと思ったんです。でも、いざ一緒にやってみると全員が本気で音楽に向き合っていて驚きました。自分がこれまでやってきたバンドとはまた違う面白さがあります」

と語っています。

川谷絵音さんの手掛ける楽曲や、新垣隆さんのクラシカルなアプローチが融合することで、ジェニーハイの楽曲は「ただの企画バンド」を超えた完成度を見せるようになりました。

中嶋さんの歌声が、異色のメンバー構成の中でも一際輝くのも納得です。

結成当初は予想外の化学反応に驚く声もありましたが、今やジェニーハイは独特な音楽性で注目を集める存在となっています。

「笑いと音楽、どちらも人を幸せにできるもの。それを一緒にできるのが、このバンドの魅力」

と語るイッキュウさん。彼女の柔軟性と挑戦心が、ジェニーハイの成功に一役買っているのは間違いありませんね!

ソロプロジェクトSUSUとファッションの融合

中嶋イッキュウさんが立ち上げたソロプロジェクト「SUSU」は、音楽とファッションを大胆に融合させた斬新な取り組みです。

SUSUでは、自身の楽曲制作に加え、アパレルデザインにも挑戦しており、

「自分が表現したい世界観を、音楽だけでなく服を通しても伝えたい」

という強い思いが込められています。

中嶋さんはインタビューで

「ファッションも音楽と同じく、自分を表現する大事なツール。どちらも切り離せない存在です」

と語っており、音楽活動の枠を越えたクリエイティビティが伺えます。

また、プロジェクト名の「SUSU」は、日本語の「進む」や「すすき」のイメージから取られているそうで、

「常に前進しながら柔軟に自分を変化させていきたい」

という思いが込められているとのこと。

これまでの音楽活動だけでなく、ファッションでも新しい挑戦を続ける中嶋さん。

彼女の行動力と発想力には、改めて驚かされます。

まとめ

中嶋イッキュウさんは、tricotやジェニーハイでの活動、さらにはソロプロジェクトSUSUを通じて、多岐にわたる才能を発揮しています。

彼女の音楽やパフォーマンスは、国内外問わず多くの人々を魅了しており、今後のさらなる活躍が期待されます。

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