台湾の人気女優として活躍し、華やかな結婚歴を持つバービースー。
彼女の旦那は誰なのか、また子供は何人いるのでしょうか?
電撃婚や劇的な復縁が話題となった彼女の人生には、驚きのエピソードが満載です。
そんなバービースーの家族や結婚にまつわる気になる話を、詳しく調査しました!
2010年にワン・シャオフェイと電撃結婚
バービースーの1度目の結婚は、まさに「電撃婚」として大きな話題を呼びました。
彼女は2010年に、中国のレストランチェーン「俏江南(SOUTH BEAUTY)」の御曹司ワン・シャオフェイと、交際49日で結婚を決意。
これにはファンも驚きを隠せませんでした。
結婚式は2011年3月、中国の海南島で超豪華に執り行われ、台湾や中国の芸能界からも多くの著名人が参列。
その規模の大きさは「セレブ婚」として語り継がれるほどでした。
しかし、この華やかな結婚生活の裏には、徐々に価値観の違いが生じていたようです。
2021年に離婚
結婚生活は11年続きましたが、2021年11月に2人は離婚を発表しました。
その理由として、「価値観の違い」が主に挙げられています。
特に、ワン・シャオフェイは中国本土でビジネスを拡大する一方、バービースーは台湾を拠点に活動。
この物理的な距離が、夫婦間の溝を深めていったと推測されています。
また、ワン・シャオフェイの母・張蘭(チャン・ラン)との関係も緊張状態にあったと言われており、嫁姑問題も一因だった可能性があります。
最終的にバービースーは
「お互いが幸せになるための決断」
として離婚を選びました。
ク・ジュンヨプと再婚
2022年、バービースーは韓国の歌手ク・ジュンヨプと再婚。
このニュースは、台湾と韓国の両国で大きく報じられました。
実は2人は1998年にも交際していましたが、当時の事情により破局。
しかし、2021年にバービースーの離婚が報じられると、ク・ジュンヨプが思い切って彼女に連絡を取り、それがきっかけで劇的な復縁を果たしました。
20年の時を超えた復縁!運命の再会
ク・ジュンヨプはバービースーの離婚を知ると、彼女の連絡先を探し出し、思い切って電話をかけたそうです。
その際、彼は
「もしまだ独身なら、僕と結婚しよう」
とストレートにプロポーズ。
この言葉にバービースーは感動し、わずか数ヶ月後に結婚を決意。
2人は20年の時を超えて再び結ばれたのです。
この奇跡の復縁劇に、多くのファンが感動しました。
バービースーの子供
バービースーには2人の子供がいます。
彼女の最初の旦那であるワン・シャオフェイとの間に生まれました。
再婚相手のク・ジュンヨプとの結婚報道の際に、妊娠の噂もありましたが後に彼女の母親が否定しており、情報は定かではありません。
娘と息子の名前や年齢は?
- 長女:2014年4月24日生まれ
- 長男:2016年5月14日生まれ
バービースーは、子供たちのプライバシーを守るため、詳細な情報は公開していませんでした。
しかし、母親としての愛情は強く、育児にも積極的に関わっていたとされています。
バービースーの家族構成と結婚歴
バービースーは、芸能一家とも言える家庭に生まれました。
彼女の妹である徐熙娣(シュー・シーディー)、通称「小S」は、台湾のバラエティ番組で絶大な人気を誇るタレント。
姉妹揃ってエンタメ業界で活躍していたのは有名な話です。
前述の通り、2度の結婚を経験しており家族構成をまとめると以下になります。
- 1度目の結婚(2010年):中国の実業家ワン・シャオフェイと結婚(2021年に離婚)
- 子供
- 長女(2014年生まれ)
- 長男(2016年生まれ)
- 子供
- 2度目の結婚(2022年):韓国の歌手ク・ジュンヨプと再婚
彼女はインタビューで
「家庭が何より大切。子供たちのために、どんなに忙しくても時間を作る」
と語っており、芸能活動と母親業を両立させる姿勢が伝わってきます。母親としても、彼女は一流だったんですね。
バービースーのプロフィール
バービースー(徐熙媛)は、台湾出身の女優・歌手・タレントとして活躍し、アジア全域で人気を誇ったマルチタレントです。
彼女の知名度を一気に高めたのは、2001年に放送された台湾版『花より男子』ことドラマ『流星花園』のヒロイン・牧野つくし役。
この作品により、台湾のみならず、中国や日本でも一躍スターダムにのし上がりました。
- 本名:徐熙媛(シュイ・シイユエン)
- 英語名:Barbie Hsu
- 生年月日:1976年10月6日
- 出身地:台湾・台北市
- 身長:163cm
- 職業:女優、歌手、タレント、司会者
- 代表作:ドラマ『流星花園』『戦神〜Mars〜』など
- 言語:中国語、英語、日本語
- 出身校:華崗芸術学校演劇学科卒業
バービースーは、日本のポップカルチャーに強い関心を持っており、台湾では「哈日族(日本好き)」としても知られていました。
1995年には日本デビューを果たし、日本の音楽シーンや雑誌グラビアにも登場。
さらに、渋谷や原宿のファッションに影響を受け、台湾で「師母」という日本風の雑貨店を運営していたこともあります。
これらの経歴を考えると、彼女が当時の日本の流行に敏感だったことは間違いありません。
また、彼女はSMAPの木村拓哉の大ファンで、サプライズで本人からビデオメッセージが届いた際には、感動のあまり涙を流したエピソードもあります。
このように、彼女の日本文化への愛は、ただの「憧れ」ではなく、しっかりとした「影響」として生活に根付いていたようです。
バービースーの突然の訃報
2025年2月、日本への春節旅行中に体調を崩し、インフルエンザから肺炎を発症。
そのまま東京の病院で亡くなりました。
妹の「小S」こと徐熙娣は
「姉は最後まで強く、美しい人だった」
とコメント。
この突然の死に、台湾・韓国・日本のファンが深い悲しみに包まれました。
まとめ
バービースーの人生は、まさにドラマそのもの。
2度の結婚、運命の復縁、そして母親としての愛情あふれる姿。最後まで愛に生きた彼女の人生は、多くの人に感動を与えました。
彼女が残した言葉やエピソードは、これからも語り継がれるでしょう。